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批判における落とし穴

哲学

「批判するのはよくない」と言う人がいます。個人的には批判は良いところも悪いところもあると思うのですが、この発言の正否以上に僕が気になるのは、この発言自体が批判になってしまっているという点です。なぜなら「批判はよくない」というのは批判に対する批判だからです。となると、このように言う人はちょっと矛盾しています。批判がよくないならば「批判するのはよくない」なんて言うべきじゃないのではないでしょうか?

この種の落とし穴はいたるところにあって、結構危ないです。この前もfacebook上で、「他人のことをどうこう言うな」と言っている人を見かけたのですが、この人自身が他人がどうこう言うことに対してどうこう言っているので矛盾しているな、と思ったものです。そして僕自身もこのように矛盾したことを言ってはいないだろうか、と不安になりました。

また、これと似た問題で、ある社会で「あらゆるルールを作ってはならない」とみんなで決めたとしましょう。この時この人たちは「あらゆるルールを作ってはならない」というルールをひとつ作ってしまった訳で、やはり矛盾しています。

それではこのような矛盾を指摘して、「はい論破」と言うのが正しいのでしょうか?それはちょっと違うのではないか、というのが僕が今回言いたいことです。このような矛盾の揚げ足取りは、脱構築批評家たちの得意とするところらしいです。詳しくは知りませんが。しかし、それが本当ならばこの揚げ足取りは実は間違っている可能性があり、脱構築批評家はこの可能性に関して少し鈍感なのではないかと思うところがあります。というのは、完璧にこの揚げ足取りを回避する方法があるからです。

その方法はタイプ理論と呼ばれるものです。英語ですがhttp://plato.stanford.edu/entries/type-theory/に詳しく書いてあります。簡潔に言うと、例えば「批判」と「批判に対する批判」、「批判に対する批判に対する批判」、…を区別することです。「批判するのはよくない」と言っている人は、暗に「批判」はよくないが、「批判に対する批判」はしてもよい、と考えているのかもしれません。同様に、例の社会は「ルール」と「ルールに関するルール」を区別しているのかもしれません。なので、「ルールは作ってはいけないが、ルールに関するルールは作ってもよい」と考えているかもしれません。そのように考えると、実は彼らは全く矛盾していないのです。

では、結局脱構築批評家は完璧に敗北していて、それで終わり、ということになるのか?それもまた極論である、という話になってしまうと思います。結局のところ「批判の批判」も「批判」の1つだから、勝手に区別しちゃダメだろう、と言えてしまうからです。

なので重要なのは脱構築批評もタイプ理論もどっちも一理あるということを理解することです。この落とし穴にはまってしまった、あるいははまっている人を見たら、両方の考え方から見ることが大事だと思います。それで「これはちょっと脱構築批評に分があるな」とか「これは完全にタイプ理論で考えているんだな」とか、ケースバイケースで考えるしかないだろうと思います。日常的に役に立つかはわかりませんが、知っておいて損はないと思うので書いてみました。