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孤独について

哲学

僕は基本的に「どこか静かなところで一人で暮らしたい」と思うのですが、これはかなり誤解を生みやすい言葉なので、一度はっきりと説明しておいた方がいい気がします。まず、当たり前ですが「静かなところ」というのは自分の声も聞こえないような無音室で生活したい訳ではありません。同じように、「一人で暮らしたい」というのは無人島で自給自足したいというほど極端な話ではありません。僕が言わんとしているのは「あまり強く干渉を受けたくない」というだけのことです。より正確に言うならば「誰にも干渉してほしくない部分がある」ということです。これはどういうことなのか?それを説明するために「孤独」という概念について説明してみます。

孤独と一言で言っても様々な種類があり、どれも少しずつ色味が異なります。しかし代表的なものとしては大きく4つのタイプに分けることができると思います。1つ目は、「無人島で一人で暮らす」というタイプの孤独です。完全に世界から隔離されている状態ですね。2つ目は、「透明人間になる」というタイプの孤独です。世界から隔離されているのではないし、人のいる社会で生きているが、世界から無視されるという状態です。もちろん完全な透明人間になることはありえないですが、学校や会社で無視される、というケースのように、このタイプの孤独を感じることは誰だってあります。3つ目は「四面楚歌」タイプの孤独です。以前の2タイプとは違ってあなたが存在することは認めてもらえますが、みんなが敵であるという状況もひとつの孤独です。最後は「みんなとのつながりが偽りである」タイプの孤独です。例えばめちゃくちゃお金持ちの子供がいて、周りの人はみんな寄ってくるけれど、みんなお金目的に寄ってきているというケースもある種の孤独です。

もちろんもっと他の種類の孤独もあります。例えば「夫婦二人だけで無人島で暮らす」というタイプの孤独などです。でも、とりあえずはこの4つのタイプに絞って分析してみましょう。そうすれば他のタイプの孤独も分析できるようになると思います。

まず、1つ目の「無人島」タイプの孤独について。僕は最近家にこもって勉強しているのですが、このタイプの孤独はこれに近いです。でも個人的にはこれは結構好きです。プラスに考えれば、無人島がまるまるあなたのものである状態なわけで、これほど贅沢なことはないです。僕は誰でもたまには自分だけの無人島で時間を過ごすべきだと思っています。なぜなら僕が先ほど言った「誰にも干渉してほしくない部分」というのは「誰にも干渉されずに自分だけのものとするべき部分」であり、これを見つめる時間は貴重だと思うからです。

しかし、たまに寂しくなると僕はカフェで勉強します。これは2つ目のタイプの孤独に近いです。カフェには人はいますが、ほとんど僕は透明人間の状態だからです。でも、これも個人的には結構好きです。詳しくは割愛しますが、透明人間も考えてみると気楽で楽しいです。

それでは、3つ目のタイプについて。ここからは他の人との関係を考慮しなくてはならなくなりますが、「他の人との関係」の代表例として「友人関係」を考えてみましょう。そもそも「友達である」とはどういうことなのか?深く考えると難しいですが、簡単でそれなりに実用的な定義はこうです。僕とあなたが友達かどうかは、①僕が「あなたと僕は友達である」と言って、また②あなたが「君とわたしは友達である」と言って、③お互いに嘘をついていない、という3つの条件を同時に満たすかどうかです。ここでとりあえず僕はあなたに対して「あなたと僕は友達である」と言ったとしましょう。基本的に僕はみんなに対してそう思っていますし、嘘はつかないように努力しています。それに対して、あなたの反応は「君とわたしは確かに友達である」と肯定するか「友達じゃないよ」と否定するか、さらに正直に答えるか嘘をつくかで計4通りに分かれます。ここで「いや、わたしは君を友達と認めない。なぜなら…」と友人関係を否定し、さらに嘘はついていない、つまり本心からそのように答えたとします。これは明らかに3つ目の「四面楚歌」タイプの孤独と深い関係があります。でも、僕はそう言われたとして、たとえ傷ついたとしても、そう答えた人に対して尊敬の念を抱くことができます。なぜならその人は少なくとも正直に答えてくれたからです。なので3つ目のタイプの孤独というのは、別に全然悪いことじゃありません。もちろん避けるに越したことはないですが、僕はこのような孤独は嫌いではありません。なので僕のことが本心から嫌いな人はそう言ってくれてOKです。僕は少なくともそのことについてrespectします。

僕が最も嫌うのは、むしろあなたが「君とわたしは確かに友達である」と答えたが、あなたが嘘をついている場合です。これは最後のタイプの孤独と関連しています。僕はこれは基本的に嫌いだし、このタイプの孤独に何も関心を抱くことができませんが、これも避けることはできない場合があるので、この回答が常に悪いというつもりはありません。例えばジャイアンに肩を組まれて「おれとお前は友達だよな?」と言われたら、僕は殴られたくないので嘘をついてでもイエスと答えると思います。この種の回答はひとつの平和条約のようなものだと考えると、それなりに納得がいくし、社会で生きていく上では不可欠なものだと分かります。でも、やっぱり僕はあんまりこれは好きではないです。というか単純に興味がわかないです。

長くなりましたが、まとめると孤独にも様々なタイプがあり、色がありますが、ある種の孤独はとても興味深いので、追求する価値があると思います。人生をひとつの絵画に例えるならば、孤独の深い青色はあなたの人生に奥行きを与えることができるでしょう。でも別にそんなのいらないって人は全然孤独を追求する必要はないとも思います。そもそも孤独を追求するというのは結構リスキーなことなので、そこにこだわりすぎるのはあまり賢明ではないです。しかし、ありきたりに「適度に孤独を楽しみましょう」と結論づけるのは嫌なので、大事なことを最後に付け加えておきます。大事なのは「自分に合った孤独を楽しむ」ということです。孤独にも様々な色があると述べましたが、あなたに合う色とあなたが好きな色は異なる可能性があります。ただただ好きな色を追求するのではなく、自分の肌に合う色を考えてみるという視点も面白いと思います。

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