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記憶のメタファー

文学

見たことのない木がある。いや、しかしどこかで見たような気もする。記憶というものが形成され始めたその原始時代に、砂漠の上に存在していたあの一本の枯れ木だ。その外皮は無数の皺に覆われている(その皺を刻み込んだのはゴッホだろうか)。その形状は肉をそぎ落とされた老人のようだ(まるでジャコメッティの彫刻のように)。そこには生まれながらにして老衰しているというアイロニーがある。それは叡智という名の、生まれたばかりの枯れ木なのだ。

砂漠は常に夜である。しかし地平線からわずかに日の光が見える。風景は印象派の絵画のように、静止しつつも揺れている。その場所はものの初めから、ひとつの時間を永遠にさまよい続けているのだろうか。

いや、そんなことはない。なぜならその木は光に揺れながらも徐々に形を変えつつあったからだ。それはやがて一人の男の影になる。男は立ち上がり、どこかへ向かって歩き始める。

彼はどこへ向かっているのだろうか。砂漠には山もあれば、谷もある。しかし彼はちゃんと道順を覚えているのだろう。その歩みに迷いはなかった。まるでそもそもの原初から、迷いなんて概念は存在しなかったかのように。

どれほどの時間が経ったのだろうか。気がつくと彼は入り口の森に立っていた。そこには岩場がある。渓流もある。深い森の迷宮の入り口が、不吉な食肉植物のように獲物を待ち構えている。

しかし、男は森を見向きもしない。そのかわりに彼は、地面に落ちている石を拾い始めた。奇妙な色や形をした石ばかりだ。まるで積み木のように直方体だったりする。彼はそれを積みあげて、何かを作ろうとしている。一体何を作ろうとしているのだろうか。

男は流木に腰かけて、最後の石をその手で積み上げた。彼が積み上げた石はピアノになった。石はもともとピアノだったのかもしれない。ピアノが風化して、石になっていたのだ。それは彼の手によってもとの形に復元されたに過ぎない。(もしかしたら、この場所はその昔音楽場だったのかもしれない。)

彼の後ろを流れる渓流は、どこか遠い場所からやってきて、どこか途方もなく遠い場所へと流れ続けている。その果てしない徒労がもたらすのは、わずかに認識できるレベルの水音だけだった。男はその音にじっと耳をすませ、それを味わっている。渓流は水音の中から密かに合図を出す。男の指は鍵盤の上に沈む。

それは聞き覚えのある音楽だった。しかしタイトルはどうしても思い出せない。もしかしたらそもそも聞いたことのない音楽だったのかもしれない。この場所では夢の中のように、記憶は常に曖昧だ。それは音もなく形を変え、何者かによって捏造される。

男はひたすらその音楽の世界に入り浸っているようだった。その音楽はただひたすらに繰り返される。しかし、その繰り返しは同じではなくなっている。メロディがずれる。音程がずれる。まるで世界がずれ始めているかのように。

もしかしたら本当に世界がずれ始めているのかもしれない。ともかく、ずれは確実に生じている。そのずれに心を奪われる。しかしそのずれを明確には認識できない。意識はもとの音楽の原型を捉えようとする。あたかもそれが真実であるかのように、それを捉えようとする。しかし、それは決して捉えることができない。かろうじて捉えたものは、すでに原型の残した幻影にすぎない。そして幻影の残した痕跡だけが、残響のように響きわたる。

ずれはどんどん大きくなる。それは明確に認識することができない。しかし、男はそのずれに全神経を注入し、来たるべきずれに全力で身を投じている。

『ずれとは原型の死である。そして原型の死は新しい原型を生み出す。新しい原型はあたかもそれがもとの原型だったかのように振る舞う。それを原型のように錯覚してしまうのだ。しかし、それが嘘をついていることもわかっている。それを嘘と知りながら、それを真実だと錯覚する。この構造は、ひとつの舞台の上の戯曲と同一なのだ。』

 

気がついた時、男はすでにもとの音楽に戻っていた。まるでそれはもとの音楽であり続けたかのように、彼は初めに演奏していた音楽に(それは紛れもなく初めに演奏していた音楽だった)今一度立ち戻り、ゆっくりとそれを弾き終えた。渓流の水音が再び聞こえるようになり、入り口の森は相も変わらず大きな口を開けている。

そして男は立ち上がり、振り返ることもなく、もと来た道を歩み始めた。砂漠には山もあれば谷もある。彼はもちろんもと来た道順を覚えていた。地形は彼の歩みに迷いを与えない。そして水平線からわずかに日の差す、あのもとの場所に戻ってくる。

彼はそこに座り込み、やがて動かなくなる。風景が印象派の絵画のように揺れながら静止し始める。そしてようやく本当に日が暮れ始める。風景が闇に包まれる。

本物の夜が来た。そして目を閉じる。再び目を開けた時、そこには見たことのない木があった。

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