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言葉と無意識

書評

今回の記事の目的は、「無意識は言語(=ランガージュ)のように構造化されている」というラカンの命題をきっちり説明することです。丸山圭三郎さんの「言葉と無意識」という本を大いに参考にしています。

さて、まずは下準備をしましょう。最初に、以前の記事で述べたことをまとめまておきます。

①言語とは差異の体系である

②差異は確定的ではなく、流動的である

これらはそれぞれこのあたりの記事を読んでいただければ分かると思います。

言語学入門(とちょっと自然言語処理) - Expliquer

脱構築 - Expliquer

 

今回はこれらを踏まえて話を進めます。

差異とひとことで言っても、実は2種類に分類することができます。

ひとつ目は、「身分け」という差異です。これは動物が「食べられるもの」「食べられないもの」などを区別するような差異のことです。簡単に言えば、本能的に認識できるような差異、ということです。

もうひとつは、「言分け」という差異です。これは「自然」と「人工」などを区別するような差異のことです。自然と人工は「自然」という言葉と「人工」という言葉によって、人間が作り出した差異です。

(要するに「言分け」とは言葉を使って人間が作り出した差異のことであり、「身分け」とは言葉以前に認識される本能的な差異ということです。)

 

人間は言分けによって、言語を構成します。冒頭で述べた①と②の両方の性質を踏まえた言語のことを、ランガージュと呼びます。つまり言語=ランガージュとは、流動的な差異の体系のことです。日本語をランガージュとして捉えるとは、日本語が平安時代~江戸時代~近代~現代によって変化していき、決まった形のないものとして捉えることです。

一方で、これだとちょっと複雑すぎるので、①の性質だけを踏まえた言語のことを、ラングと呼ぶことにしましょう。この場合②は考えない、つまり言葉の意味が確定したものとして捉えることになります。(このように考えるととても便利ですが、これは厳密に言えば誤った仮定であることに注意してください。)日本語をラングとして捉えるためには、まず日本語を現代(もしくは平安でも江戸でもいいですが)という1つの時点での日本語として確定させるというイメージです。さらに言えば、②を考えないとはそもそも、「自然」と「人工」というのを二項対立として捉える、という意味になります。要するに自然と人工がはっきり二つに分けられる、と仮定するということです。

 

これでほとんど準備は整いました。あとは意識がラングに対応していて、無意識がランガージュに対応していることを示すだけです。ただし、ここでいう無意識はむしろ下意識と呼ぶべきもので、無意識とはちょっと異なります。たとえば食欲みたいな本能は、本当の無意識に属するもので、これらは下意識には属さず、もちろんランガージュによって構造化もされていないと思います。なので正確に言えば「無意識は言語によって意識、下意識、無意識に分化され、意識はラングに、下意識はランガージュに対応している」というところでしょう。

これを直感的に説明するとこうなります。たとえば原始的な人間が、(ヘレンケラーのように)「水」という言葉を生み出したとします。これによって、彼らは「水」と「水でないもの」を区別できるようになります。これが「意識」の起源です。しかし、たとえば次に「血」という言葉を生み出したとします。意識はこれによってはっきりと「水」「血」「血でないもの」などを区別することができるようになるでしょう。しかし、ここで「水」も「血」もどちらも流れるものであるという共通点があります。このような相似を「シニフィエにおける相似」と呼ぶことにしましょう。また、別の言葉として「傷」という言葉がありますが、「みず」と「きず」というのは音としてとても似ています。このような相似を「シニフィアンにおける相似」と呼ぶことにします。

こうすると、言葉には「シニフィエにおける相似」と「シニフィアンにおける相似」の2種類の相似関係が必然的に生まれます。たとえばメタファーというのはシニフィエにおける相似ではないかと思います。とにかく言葉には相似関係が生まれ、これによって言語の中にひとつの不透明な構造が生まれます。この不透明な言葉の構造が、下意識を形成するのです。つまり、意識と同時に、「水」=「血」とか、「水」=「傷」が成り立つような、下意識が生まれるのです。

さらに、言語=ランガージュにおいては、「水」という言葉の意味というのは不確定なものでした。これは僕たちに与えられているものが「水」のようなシニフィアンだけであって、そのシニフィエは不確定である、ということです。このような不確定性というのも、言語とともに下意識に生まれる不透明な構造のひとつです。このように、言葉によって意識を生み出したと同時に、言葉の不透明な構造として必然的にくっついてきたものが下意識であり、よって下意識は言語=ランガージュのように構造化されているのです。

以上の説明を踏まえると、結局は言語によって構造化されている無意識を下意識と呼ぼう、という話なのだと思います。そういう意味で、これは証明ではなくてただの説明です。ちょっと難しかったかもしれませんが、今回はこれで終わりです。

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