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ラカン入門 その1

哲学

今回はラカンの重要な概念の説明をしておく。

 

想像界

これは一言で言えばイメージの世界である。ここでは、僕たちは統一された自我というのは持っておらず、バラバラのイメージしか持っていないと考える。例えば人間は鏡に映った自分のイメージを見て、この外部に位置するイメージに自分を同一化し、疎外的に自らを作り上げていくのである。

このように外部のイメージが自分のイメージになるように、自分のイメージは外部(他者)のイメージのものかもしれない…ここでイメージをめぐって他者との間で争いが生じる。このように争いの尽きないイメージの世界が想像界である。

象徴界

では、例えば僕たちは鏡の中のイメージをどのようにして自分のイメージだと認識できるのだろうか?ここでは絶対的な第三者の存在が必要になってくる。例えばそれは鏡の中で自分を抱える母親の存在である。このように絶対的に他者であるというものを認めることによって、想像界には法がもたらされ、争いは終結する。

このような絶対的他者は初めは母親であるが、母親の絶対性はやがて失われ、それは言葉に代わられる。言葉は僕たち自身のものではないという意味で他者であり、法とは言葉の中の法である。

現実界

これはとりあえず物理世界だと思っておけばよい。後期ラカンにおいて重要になってくる概念である。

 

次にL図について述べよう。

 

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Sは主体、Aは(絶対的)他者を表し、AからSへ向かう直線は途中で破線になっている。この破線への移行はa(主体の自我)とa’(想像的他者)の直線との交点から始まり、これは想像界の争いを表す。すなわち、この図の最も簡単な解釈は、AからSへ向かうメッセージが想像的関係によって阻害されるということであり、フロイト流に言えば「自我が無意識的願望を抑圧する」ということになる(これは後々分かるようになると思われるので、深く考えなくて良い)。

この図には「無意識は他者の言説(ディスクール)である」、「無意識は言語のように構造化されている」というラカンの有名な命題が含まれている。これらも後々理解できるはずなので、今はそういうものであると思っておけば良い。

 

最後に主体(S)について説明しよう。僕たちは鏡の中などで自分のイメージを見つけ、それらのイメージに同一化することで理想的自我イメージを獲得する。しかし、これによって理想的自我と現実とのギャップを乗り越えることは一生できないので、僕たち(主体)は常に不調和の中に残るのである。この不調和こそ人間的主体の本質なのである。

 これは別の例でも考えられる(が、これは飛ばしても良い。)The Muddy Children Problemというのをご存知だろうか(知らなければググってみてね)。これは各子供達が完全で平等に論理的であれば答えが存在する。しかし、現実はそうではない。このように機械的論理を成立させなくなるのが主体的要因であり、これによって人間的時間が構成される。ここでも主体というのは全体的調和に対する否定的な要因によって要請される概念であることが理解できるだろう。

 

続く