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感覚的な愛

哲学

 前回の話は、理性的な愛に関するものでした。しかし、愛というのは感情です。考えるものではなく感じるものです。今回はこの感情としての愛を考えます。

 先に断っておくと、理性的な愛というのは感覚的な愛の一種だと思います。なぜなら、僕たちが自由を愛するという時、それは紛れもなく愛という感情を持ってして言うからです。しかし、理性的ではない愛も存在します。恋愛が良い例です。僕たちは理性ではなく感性で人を好きになる場合がほとんどです。

 いわゆる愛というのはほとんどの場合感覚的な愛を指します。理性的でない愛というのもとても重要ですが、間違った扱いをすれば危険なことも多いです。例えば人間は誰しも潜在的には悪を愛する部分が多かれ少なかれあると思います。あるいは苦しみを愛したり、恐怖を愛したり、支配を愛したりする部分も必ず存在します。これらの感覚的な愛を追求するのはあまり望ましくない結果をもたらすのではないかと自分は思います。

 しかし一方で、間違った感覚的な愛を制圧するべき、とは思いません。これは間違った感覚的な愛も世界のスパイスであるから、あるいは、完全に間違った感覚的な愛というのは存在しないから、あるいは、社会の多様性や新しい価値観を生むのは間違った感覚的な愛である場合があるからです。

 ではどのように感覚的な愛を扱うべきでしょうか?これは難しい問題ですが、個人的な意見としては、まずは理性によるジャッジメントが必要であり、その上である程度「正しい」と正当化される愛は、どんどん突き進めてよいと思います。一方で「正しい」と言い切れない愛に関していえば、それはケースバイケースで一般論はちょっと通用するかわかりません。例えば芸術などの方面でそれを発揮するのもアリだし、そこをぐっと我慢するのもアリだし、頑張って正当化できるように努めるのもアリだと思います。

 ただ、僕の言いたいことは、もしもある程度の財産、健康、友人関係などが保証されているならば、次に追求するべきは愛であり、それをとことん追求することがスタートであり、ある意味ではゴールであるということです。そしてできるならば正しい愛を追求した方がいいということです。よくお金は多く持っているほど幸福になるが、ある段階からは頭打ちになるという話を聞きます。これは色々な解釈ができると思いますが、僕は財産をいくら確保できても、いわゆる高次元な欲求を満たすことができてないからではないかと思います。これは社会的に大きな問題ですが、愛というのはこれを解決するキーではないかと思います。

 愛を追求するというのはそもそも簡単な話ではありません。愛はたまたま近くに転がっているかもしれませんし、無意識の奥底に潜んでいるかもしれません。

 なんだか抽象的すぎてわからない、と思われる人のために、最後に具体的な話をしておこうと思います。僕が愛することの一つに、「純粋さ」というものがあります。純粋であるとは、0であるということです。透き通った水のように、何も混じり気がないということです。それが良いと思うのは、生まれ持った美的センスではなく、生まれ育った環境にあると思います。純粋さを最も強く意識するのは、多感な中高生ではないか、と僕は考えます。小学生までは、あくまで一般的にですが、自分自身がかなり純粋です。なぜならば世の中の矛盾というものを認識する力がまだないからです。しかし、中学生になる頃には、世の中の矛盾がだんだんわかるようになってきます。今まで矛盾がない、純粋であった世界観というのがだんだん濁ってくる訳です。この感受性が極端に強い結果が、サリンジャーのThe Catcher in the Ryeに現れていると思います。純粋さに対する憧れは、それを失うことによる反動で生まれる、ということです。

 僕は比較的これらの矛盾に敏感であったと思います。それは決して良いことだとも言い切れませんが、その結果として僕は純粋さに対して憧れを持つようになりました。僕の子供好きとか、数学好きとか、抽象画好きとかはそこに端を発しているかもしれません。

 一方で純粋さを愛することは正しいことかと言うと、僕はどちらかといえば否定的です。0であることは責任もなく楽ですが、言ってしまえば現実逃避です。人間はむしろ様々な矛盾を抱えた上で、それらを乗り越えていくことで成長というか、洗練されていくと思うからです。なので、純粋さを求めるというのは、退化とまでは言わずとも進歩ではないのではないかと疑いたくなります。

 しかし、純粋さに対する愛が完全に間違っているとも思いません。また、前回の医者の話で言った通り、愛は間違っていようが正しかろうが、それ自体で価値があると思います。サリンジャーは間違っているかもしれませんが、少なくともそこには感動するくらい立派な愛があります。たとえその愛で社会から孤立したって、落ち込むくらい悩んだって、何かを深く愛することは人生における大きな財産だと僕は思います。

 このように僕は考えます。参考になると嬉しいです。

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