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Love&Peace:)

哲学

 誤解も批判も恐れずに言うと、僕は「人間の究極の目的は愛であり、幸福とは正しいものを愛することである」と考えます。自分にもう少し文才があったなら、詩にでもしていたかもしれません。間違ったことを言っているつもりはありませんが、主観的であり、理想論的であることは否定しません。これは僕の人生観なので、そのまま受け入れてほしいとも思いません。でも、ちょっと読んでみるくらいの価値はあると思います。

 まず、愛が究極の目的であるとはどういうことでしょうか。これは個人にとっても社会にとっても愛こそが追求すべき対象であるという意味です。最初に、社会は考えずに、個人が追求すべきことって何でしょう?個人にとって追求するべきことっていくらでもありそうです。安全、健康、長生き、恋愛、仕事、友達、学問、スポーツ、趣味…などなど。でも、安全、健康、長生きあたりはちょっと抜いておきましょう。これらは欲求としては低次なものであり、これを追求するだけでは幸せにはなれないからです。では、恋愛、仕事、友達、学問、スポーツ、趣味、なんでもいいですが、これらに共通しているのは、何でしょうか?それは、要するに個人の好きなことである、ということです。

 恋愛は置いておいて、仕事について考えてみましょう。やっぱり好きな仕事をできるのがベストな訳です。では友達は?好きな友達といるのが一番楽しいです。学問でもスポーツでも何でもそれは同じです。

 よって、社会というものを抜きにして考えるならば、個人は各々好きなこと、愛することを追求していることが最も自然で良いことであると僕は思います。

 しかし、個人は社会の一部であり、社会を考慮しない訳にはいきません。この場合に、追求するべきことは何でしょうか?僕の考えがユニークだとすれば、これも愛になるということに尽きます。ただし、今度は愛が正しくあることが必要になってきます。

 まず、個人が「正しいもの」を愛する、という視点が必要になるというのは、なんとなく分かるでしょうか。厳密に言うと何が正しいのか、間違っているのかを説明するのはとても難しいです。僕の思う限りでは、真実、自由、平和、ある程度の平等、正義、未来、現在、過去あたりは、わりと愛することとしては正しい感じがします。これらを深く愛することができたならば、その個人は自己満足に終始することなく、社会にとっても大きく貢献する可能性が高いです。

 ここで可能性と言ったのは、愛だけでは社会に貢献ができるとは思わないからです。命を愛し、人命を救いたいのであれば、医療の知識が必要不可欠です。正しく愛することは良いスタートですが、それだけでは足りないように思います。

 しかし、この「可能性が高くなる」というのは社会にとってとんでもなく大きな価値ではないでしょうか。確かにある個人だけ見たら、その人は愛するだけで何も行動しないかもしれない。あるいは全く逆の失敗をしでかすかもしれません。しかし、人々が正しく愛することによって、その個人が社会に貢献する確率は間違いなく高くなります。単純に考えて、愛することができれば、努力をする確率は上がります。努力をすれば成功する確率は上がります。事態はもっと複雑ですが、ここに因果関係を見出すのは難しくないように思います。

 仮に1%、社会に貢献する人が増えたとしましょう。そうしたら、日本に限ったとしても約1000000人多くの人が社会に貢献することになるのです。もしも5%大きくなったら?10%大きくすることができたら?

 社会は個人が正しく愛するものを見つけられるようにするだけで、実はものすごく大きな利益を得られるのだと思います。そして、社会はそれ以上を追求する必要はないとも思います。つまり、愛することを見つけた後は個人に任せてしまうということです。ある種のサポートは必要になるかもしれませんが、あまり介入するのもどうかなとは思います。

 よって、最初の結論となります。

 最後に強調しておきたいのは、愛から生まれる行為は、結果はどうあれそれだけでも非常に価値が高いということです。僕は医者がどうして重要かというと、人命を救うことができるから、というだけではないと思っています。そもそも人間が長生きすることは別に重要だとは思いませんし、例えば凶悪犯の命を救うことが良いことだとも確信できません。しかし、医者とは命を愛するからこそ、人が長生きできるように努力し、その愛にこそ意味があるのだと思います。また、命を平等に愛するからこそ、凶悪犯の命を救うことにも意味があるのだと思います。このような医者の愛は、絶対に正しいとは言い切れませんが、基本的には正しいと思っています。このような愛があるからこそ、医者というのは重要だという気がしなくもないです。

 「人間の究極の目的は愛であり、幸福とは正しいものを愛することである」というのは、自分でも言い過ぎかなと思っています。しかし、もしも僕が詩人であったなら、僕はそんな感じのことを言ったと思います。この考えはそれだけで美しくないですか?

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